インドって東南アジア?

デリー大学留学中。ヒンディー語の能力向上、インドを知り、自分を見直すためのTHE自己満。見たくない人は見なくて結構。

「郷愁」

年始の恒例行事である餅つきを、我が家では年末に行う。もち米を冷たい水で洗い、窯を組み立てて、窯の中にそのもち米と水を入れるところまでは大人の仕事。俺と弟は、枝を集めて火の前に座り、適度に木を加える火の番が主な仕事で、仕事量はただテレビを見るのと変わりはしないのだが、甘々な祖父母はこの仕事すら褒めたから、毎年得意げになったものだった。小学一年生の自分は、二十歳になっても祖父母は自分達に甘々で、自分達が相も変わらず火の番で満足しているとは思いもしなかっただろう。

                 

そんなわけで、冬の冷たい空気と、何かが燃えた匂いは餅つきを連想し、祖父母の家がある田舎への郷愁と、家族団欒のワクワク感を思い出させるのだが、インドでは今週はディーワーリーというお祭りで、これでもかと花火やら爆竹やらを鳴らしたから、もう寒い朝の空気とその残り香が先述の年末の日常を脳裏によぎらせた。ディーワーリーは基本的に家族で祝う祭りで、本格的に夜になると街に人が少なくなったことが、昨夜独りぼっちな自分と自然と対比されたこともあって、忘れかけていた留学序盤の寂しさが再び自分の体調を崩そうとしていた。

 

今日の記事⇒「ディーワーリーの次の日、デリー・NCRに来る冬」

(全文・祭り後のふわふわ感で翻訳の甘さに拍車がかかる)

「ディーワーリー祭の次の日である木曜日に、デリーの長いいつもの冬が、NCRの戸を叩く。気象庁によれば、山間部で降雪があることによって、デリーでも寒さが増すということだ。数日前から冬の空気とともに太陽の熱が弱くなったことで、寒さを感じさせ始める地域の人々に、衣装缶にしまってあった服を引っ張り出させ始めた、ディーワーリーの次の日、冬の寒さが増してくることで、セーター姿も見受けられた。これだけではなく、バイクを移動手段とする人々はジャケットすら着ながら運転していた」

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NCRのいくつかの地域でも、布団と毛布の日々へ戻した。ほとんどの家々では、暖かい服が引っ張り出された。朝夕、道に出る人々は暖かい服と共に外に出ている。どうあれ、寒さの日々が日ごとに増してきている」

まずNCRとは、首都ニューデリーを含む首都圏地域一体を表す。具体的には、デリーと、デリー以南に位置するグルガオン含むハリヤーナー州の一部、そしてノイダ含むウッタル・プラデーシュ州の一部にあたる。日本では夏の暑さは彼岸で一区切りであるのに対し、デリーの暑さもディーワーリーまでというのは在印日本人では良く言われることだ。インドでも朝晩はもうパーカーを着ないと寒い季節になっている。

 

夏の暑さで郷愁に駆られたり、物寂しさを感じたりすることは少ないのに、寒さがこれらを運びやすいのはなぜだろう。寒くなった空気と、火薬のにおいが楽しかった田舎での年末の光景を思い浮かばせると、普段気にも留めないような、ディーワーリーセールに集団を為す家族連れが、自然に目に入るのはなぜだろう。この郷愁と光景は、とにかく一人暮らしがしたいと駄々をこねていた過去の自分を責めるが、またどうせ帰国したら一人暮らしへの夢を膨らませるのだと思うと不思議な感じがする。

 

独りぼっちで家に帰る。3階の自宅まで、階段の一段一段に蝋燭が置かれていて、階段は普段より明るく照らされていたが、心は晴れなかった。爆竹の音と楽しそうな声にいらついてイヤホンをつけようとしたら、ベルが鳴った。誰かと思えば、お菓子を持った大家さんだった。

ハッピーディーワーリー。お菓子は甘すぎたが、近ごろはインドも悪くないと思える時があったりする。爆竹の音はムービーに収めることにした。

 

 

(元記事:https://www.jagran.com/delhi/new-delhi-city-ncr-winter-season-comes-in-delhi-and-ncr-18616705.html