インドって東南アジア?

デリー大学留学中。ヒンディー語の能力向上、インドを知り、自分を見直すためのTHE自己満。見たくない人は見なくて結構。

「約束は針、契約は金」

守らなければならないもの。例えば、校則。例えば、規則。例えば、法則。例えば、約束。そく、の漢字が違う約束だけは他と違って、結ばれる間が対等な気がして、だからこそ指切りげんまんができるのだと思う。校則を守らないヤンキーも、ダチとの約束は守ったりする。悪を粋がる社会悪でも感じる、不思議な罪悪感が約束にはあるからだ。

悲しいことに、大人になるにつれて約束は契約に名前が変わり、針千本は違約金に形を変えることが多くなる。罪悪感は機能しなくなり、考えつくされた思惑と自己中心的な考えだけが、守らなければならなかったものを破ろうとする。

 

今日の記事⇒10/4, 2018 Dainik jagran「Amrapaliの何千ものマンション購入者たちにとっての吉報、停頓したプロジェクトがやり遂げられるだろう入札」

(引用・今回難しいしガバガバ翻訳MAX)

 

「最高裁は、Amrapali Groupの停頓に陥ったプロジェクトをやり遂げるために、National Building Construction Corporation (NBCC)に対し、一般入札するように、と述べた。この未完成の仕事を期限までに完成させるために、建築業者を選択できるようにするためだ。最高裁判所は、60日以内にNBCCは長引いたプロジェクトの精密なプロジェクトレポートを提出するように、とも述べた」

 

なんのこっちゃわからないでしょう。まず本文の順番を変えて経緯を。

 

Amrapali Groupは、今、自社のほとんどの投資家たちによってマンション建設費用の80%から90%の金額を徴収したところだという。しかし実際の状況は、いくつかのプロジェクトでは投資家がすでに100%のお金を出していたが、7年が過ぎてしまった後も、そのいくつかのプロジェクトの準備は依然出来ていないままだということである。Amrapali Buildingには、NoidaGreater Noida Authorityとともにいくつかの銀行にも多額の負債があるが、そのお金を返せる状況にはない。ある見積もりによれば、4万よりも多くの投資家がAmrapaliの欺瞞の標的であるという。被害者は最高裁以外に望みはない。」

 

これでも理解に難いかもしれない。Amrapali Groupはデリーの建設会社で、マンション建設計画を作成、投資家に投資を募った。彼らから無事お金を得たのだが、なぜかマンションは作れておらず、お金も返すアテがないということ。4万を超える投資家、銀行にお金を返せない大惨事。

なぜマンションは作られなかったのか。

 

「専門家たちによれば、Amrapaliはすべてのプロジェクトを一挙に始めるということで投資家たちを釣って、予約を維持した。一方で、物件の予約は殺到したが、しかし仕事は停滞した、これは投資家からこのプロジェクトのために得たお金を他のプロジェクトに充てたからである。Amrapaliが規則と法を思いのままにし、プロジェクトのお金を他のビジネスをするところの、同グループの会社に充てていたということは困惑する話である。経済が不況である時期の予約の減少は一挙にすべてのプロジェクトにおける仕事を停滞させた」

 

要はお金を集めるだけ集めて、同じグループの他のプロジェクトにあてていたということ。しかも記事によれば虚偽のプランで投資家を釣っていたというからどうしようもない。その後不況が訪れると予約の勢いは停滞。他のプロジェクトに割いたぶん、このプロジェクトは完成されないままになってしまったのである。

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A.ミッシュル裁判官とU.U.ラリット裁判官の小法廷は水曜日、Amrapali Company Groupの建築士に対してNBCCと共に協力することを決断するよう言った。Amrapali Groupの建築士たちがNBCCと協力しない場合は、「深刻に受け取られるだろう」、ということである」

「小法廷は、Debt Recovery Tribunal (DRT)の前に行われていた聴聞において、Amrapali Groupのデリーに売られていない物件に対し仕事を始めるように、と言ったのである。これらの物件の鑑定の命令までなされた」

 

結局建設に関しては他社であるNBCC、債務に関してはDRTの尻拭いをうけることに。

この投資家や銀行との「約束破り」の尻拭いを最高裁が指示したこと、そしてこれがインドのトップニュースであることにこの規模の大きさが伺える。指切りげんまんなら、なんと針四千万本規模である。「契約」で良かった。お金で済んで良かった。

 

いつだって契約も約束も、勝手に破るとろくなことになりやしないということ。

約束のそく、が「束」なのは、古代中国において取り決めを忘れないように「束」にしたからだという。取り決めも、みんなが守らなければならないもの。語源も、そして使う漢字も、関係性も違うが、他の「則」の単語と同じく、約束も結局則らなければならないものであることは見えよう。

 

飲み会行けたら行くわ。明日朝起きられたら一限出るわ。金、あとで返すわ。

何回裏切り、そして裏切られたか。破ることに罪悪感がないものだから、これからこういうのは約束と呼ばないことにしよう。社会人になるまでは、約束を破ることに罪悪感があっていい。

 

そういえば先日、インドにいながらにして部活の同期と飲み、爆酔いして記憶をなくす「お約束」をかました。ただこればかりは何の価値もなく、そして何の意味もない約束である。

 

 (元記事:https://www.jagran.com/delhi/new-delhi-city-sc-allows-nbcc-to-float-tenders-for-selecting-builder-for-stalled-amrapali-projects-common-man-issues-18496756.html