インドって東南アジア?

デリー大学留学中。ヒンディー語の能力向上、インドを知り、自分を見直すためのTHE自己満。見たくない人は見なくて結構。

「私が死んでも誰も悲しまない」

ドラマでも映画でも、「私が死んでも誰も悲しまない」という台詞は、「そんなことない、私は悲しい」という返答を狙ったものでほぼ間違いないから、その不貞腐れたテンプレートの台詞には真意が込められていない。けれど、その期待通りの返答はいつだって本意だと思う。たとえよく知らない人でも、この世からいなくなるのは寂しいものだからだ。

知り合いが死ぬ夢をよく見る。なんでもアリの夢の中でも、悲しいという感情があることは不思議な訳だが、その悲しみはもう会えないという喪失感と同時に、後悔由来であることが多い。母が死んだ夢を見たとき思い返した後悔は、小6で母と弟とお台場ジョイポリスに行ったとき、恥ずかしさから、プリクラを取りたがる母を拒んだこと。母は帰り道、プリクラ取りたかったな、とポツリ言った。こんな小さな後悔が心に引っ掛かり続けていたことに、夢で初めて気づいたりする。かくして、起床後はその人に対する接し方が優しくなったりするのである。

 

今日の記事⇒10/20, 2018 Dainik jagran「BJPの議員ボーラー・プラサード・シンの死去、連邦首相モーディーは哀悼の意を表す」

(引用、てか全文、毎度毎度ガバガバ翻訳)

「ビハール州のベーグサラーエからのBJPの議員、ボーラー・プラサード・シンの死去は金曜日の夜9時半ほどにデリーのラーム・マノーハル・ローヒヤー病院で起きた。彼は79歳で、しばらく病を患っていた。彼の死に対し、連邦首相ナレーンドラ・モーディーも含め、数多くの政治家たちは哀悼の意を表した。彼の遺体はしばらくした後にパトナーに移送される予定だ」

「ボーラー・シン議員の死去の後、深夜から彼に哀悼の意を表する人々の行列ができた。そして深夜、連邦大臣のラーダーモーハン・シンは彼のデリーにある住居を出た。連邦首相ナレーンドラ・モーディー、下院議長スミットル・マハージャンも含めた数多くの連邦大臣、国会議員、州議会議員など、数多くの著名人が彼に哀悼の意を表した」

「ソーシャルメディアでも彼に哀悼の意を表する人々が殺到した。連邦首相ナレーンドラ・モーディーは去る夜に自身の哀悼のメッセージにおいて、ビハール州の進歩や社会奉仕における彼の寄与を思い出させた。BJP議員、ボーラー・シンの死去に対し、連邦首相ナレーンドラ・モーディーは悲しんだ。ビハール州の州知事、ラールジー・タンダンも哀悼の意を表した。ジャールカンド州の州首相ラドゥワル・ダースもである」

「ボーラー・シンはインド共産党、国民会議派、全国ローク・ダルにもいた。議員になる前、彼はビハール州における村落発展担当の大臣でもあった。2000年から2005年の間、彼はビハール州の上院議会のスポークスマンでもあった。その後BJPの議員となったのである」

 今日は暗いニュースがトップだった。インド北東部、ビハール州選出議員ボーラー・シンが死去し、インド全土で彼の死を哀悼している。これがトップニュースである以上、偉大な人であることは間違いなさそうだ。貧富の差、農村部と都心部の差の激しいインドにおいて、ビハール州は前者に属し、この開発への尽力は全土の哀悼に値しよう。「実績」は永遠に残るものだ。

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誰かの心に思い出を残したことも「実績」のひとつ。高齢になって、子や孫が増えて、愛する対象が増えていっても、思い出という実績は決して消えやしないと信じている。一緒に行った場所、一緒に話したこと、してもらった恩と、してあげた恩返し。今でもにおいや、音楽などで思い返すような思い出が、この先も思い返せると信じている。もしそうであるならば、その人といい思い出を作ることが、その人が死んだ後、後悔由来の悲しみを減らす。

 

母とのプリクラはいつか一緒に撮ってあげようか。いや、まだ無理だわ。

 

(元記事:https://www.jagran.com/bihar/begusarai-bjp-mp-from-begusarai-bhola-prasad-singh-passes-away-18550647.html